【最終回】都内で営業をしていた私が、いつの間にか茨城県で猟師になった件について
【第34回】都内の美人営業マンが会社を辞めて茨城の奥地で狩女子になった件
■東京の会社を退職。終わりと、始まり
皆さんこんにちは! 茨城県でヨガのインストラクターの傍ら、新人農家&猟師をしているNozomiです。早いもので猟師になって3年目に突入します。今回は、なんと最終回です。「都内で営業をしていた私が、いつの間にか茨城県で猟師になった件について」を振り返りながらお話させて頂ければと思います。
人生はたくさんの“分岐点”がありますよね。今回はそんな私の人生の“分岐点”について、そして“命”についてのお話です。私の拙い文章を通して少しでも“狩猟”に興味のある方、すでに“狩猟”に携わっている方、そして何より“いのち”と向き合っている方のお役に立てれば幸いです。
私は以前の“営業”という仕事に対して何か大きな不満を持っていた訳で無いです。むしろ、上司や同僚にも恵まれて人間関係でのストレスはほとんど無かったように思います。もともとシミュレーションゲームが好きで、目標を立てて数字を追いかけるのは嫌いじゃなかったし、数字を作る為の工夫もとても楽しかった。そして仕事を頑張れば頑張るほどお給料は上がっていきました。
同僚はお給料をつぎ込んで何とかっていうブランドの化粧品や靴や服を買ったり、時計やカバンを買ったりしていたけど、ブランド物に興味のなかった私にとって更衣室はちょっと辛かったなぁ……(笑)
とくに趣味も欲しいものもやりたい事もなかったから、残業や休日出勤などは快く引き受けて、おのずと自分の時間は無くなっていきました。時間と手間を考えると、自炊するよりコンビニや出前を取ったほうが良かったので、最終的に会社近くのコンビニの上にあるマンションに引っ越したけど、あんまり部屋でくつろいだ記憶は無かったなぁ。私の部屋の小さな冷蔵庫には、水と、栄養ドリンクとビールしか入っていない状態で……そんな生活を数年続けていたら、気が付いたら身体が言う事を聞かなくなっていました。正直なんだかふわふわしたバーチャルの世界を生きているようで、なんの為に仕事をして、お金を稼いでいるのか、何のために生きているのかよく分からなくなっていきました。
お金に対しての価値観って人によってさまざまで、色々あると思うけど、その時の私にとって“お金”を稼ぐことは、人生の大半を費やしてまで取り組むべき大切な事ではないということに気が付いたのだと思います。
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